シニアネット仙台オールディーズoldays

 仙台市で活動しているNPO法人「シニアのための市民ネットワーク仙台(通称シニアネット仙台)」のアーカイブサイトです。1995年(平成7年8月12日)の発足直後に立ち上げ、ほぼ10年にわたって運用したホームページのデータを再編集してブログに仕立てました。最後の記事は、故桂直之さんがボランティアで93回にわたって連載した映画評論「なんでもシネマ」の2016年の投稿でした。多くの人たちがボランティアでかかわった市民活動草創期の熱気を感じていただければ幸いです。当時はインターネット環境が始まったばかりで、ホームページも手探りで作りました。市販の参考書を見ながらテキストエディタを使ってページごとに作成しています。その後、公式サイトをリニューアルするにあたって、連動させることが難しくなり、大量のデータをいったんハードディスクに一括保存してありました。このままでは貴重なデータが散逸することになるため、ブログの形で再構築することにしました。投稿年次が記載されていない、背景説明が足りないなど、そのままでは事情を読み取れないデータも数多くあるので、適宜、追加編集しながら整備していきます。公開したのはごく一部のデータです。今後、大量の記事、写真を編集し直し、ブログに投入する必要があります。シニアネット仙台発足以来シニアネット仙台にかかわったみなさんの顔を思い浮かべながらの編集作業を続けることにします。(文責 佐藤和文)

 「タイムダラーネットワーク」の事務局長、アナ・ミヤレスさんが10月11日、宮城県など主催のシンポジウムに出席するために仙台を訪れました。「タイムダラー」は「時間預託制」といわれる、新しいボランティアシステムです。ボランティア活動に充てた時間を積み立て、自分や家族、友人のために使うことができます。日本でも200を超える団体やグループが時間預託の考え方をさまざまな形で取り入れています。米国での様子をミヤレスさんに聞きました。

【編集メモ】参考情報
 アナ・ミヤレスさんの来日は長寿社会文化協会の1996年度事業の中で実現した。この年、ミヤレスさんは全国6カ所でシンポジウムなどに出席した。

「シンポジウム創造的ボランティア活動の発展のために」報告書
 事業名 ボランティア活動発展のためのシンポジウムの開催
 団体名 長寿社会文化協会 
(ここまで参考情報)

 -タイムダラーについて説明してください。

 ミヤレスさん ボランティアを1時間すれば1点(1クレジット)になります。仕事の内容に関係なく時間に変えるので、だれでも参加できるところがみそです。高齢者や障害者にも他人の役に立つ能力が必ずあるので、だれかがだれかに一方的に施す関係にはなりません。

 -積み立てた時間はどうなりますか?

 ミヤレスさん ほかの人のボランティアを受けるのに使えます。預託した時間を寄付したり、兄弟や友人にプレゼントしてもいいわけです。ボランティアした時間をだれかに寄付すれば、1回のボランティアで2度、世の中のためになる計算になりませんか?

 -ネットワークへの参加状況を教えてください。

 ミヤレスさん マイアミの場合、約7000人のボランティアが参加しています。約半数はボランティアして時間を積み立てる一方、自分もボランティアを利用しています。約2000人は利用しないで預託しています。ボランティアした時間を人に寄付してしまうケースが300人。

 ボランティアしないで利用するだけの人は1200人ぐらいでしょうか。10年前にタイムダラーが始まった当初、ボランティアをする人の8割は退職者でしたが、今では6割足らずになりました。あとは若い世代です。

 -どのようなボランティアがありますか。

 ミヤレスさん 日本では、在宅ケアばかりが注目されているようですが、米国では、車での送迎や話し相手、家や道具の修理、草取り、役所に出す書類の代書、翻訳サービス、カウンセリングなど、ありとあらゆる仕事があります。

 -全米にどれぐらい広がっていますか?

 ミヤレスさん 42の州で約600のスモールシステムが動いています。タイムダラーは政府が27ドルかける仕事を39セントでできます。納税者のためにもなるシステムです。今世紀、米国も日本も核家族化が進みましたが、今こそ、地域で助け合うシステムをつくり、人々を「家族」と「地域」のもとに帰さなければなりません。

 アナ・ミヤレスさん(米国タイムダラー事務局長、フロリダ州マイアミ市在住。元銀行家)

             (会報「シニアネット仙台」1996年8月号より)


  シニアネットワークの呼び掛けで組織された「食事サービスネットワークみやぎ」が順調に活動を続けています。二十七日に仙台市太白区長町のシニアネット事務所で開かれた打ち合わせを傍聴した中からいくつかのポイントを紹介します。

 ①食事サービスには多彩な側面がある。

 「食事サービスはあらゆる福祉の中で最も大変な問題かもしれない」。メンバーの一人はそう強調しました。高齢社会と食事サービスの問題は一筋縄では行きません。話し合いの中でも、重要なキーワードがいくつも飛び出しました。思い付くままに列挙します。

 拠点、スタッフ、行政と市民、ヘルパー、訪問看護、企業、男、リーダー、高齢化と子供、交流の場、地域づくり、市民センター、小学校、ボランティア、主婦の余暇利用、営業体、おじさまと女学生、食事サービスの必要性、わたしたちは選択される側、ボランタリーには信頼が重要…

 ②食事サービスは本当に必要か

 「高齢者に食事をサービスすることをボランティアでやる必要性があるのかどうか、本当は腑に落ちていない」

 この日の話し合いの中で、最も重要な問題提起のように思えました。なぜ食事サービスが必要なのか。それをボランティアで行う意味がどこにあるのか。公的なサービスではなぜいけないのか。それぞれの問題に一つひとつ答えを出していくことが、「食事サービスネットワークみやぎ」が存在理由のようです。

 しかも、その答えは、ネットワークに参加した五つのグループの実践活動自体に含まれているような気がしました。例えば「腑に落ちていない」と発言したメンバーがすぐ続けて言っています。

 「施設に入らず在宅で生を全うしたいと願うことは、ぜいたくでもなんでもなくて、当然の願いです。それが個人の生き方の尊厳であり、個人の尊厳をみんなで保証しなければならないが、その辺の了解が、行政にも地域にも、実は、まだない」

 自分の家で生きたいと願うことは、今、困難な状況にあります。高齢社会の「在宅」を支える社会的なシステムをさまざまな形で実現しなければ、状況はますます難しくなる可能性があります。食事サービスは、高齢社会の「在宅」を支える重要な仕掛けとして、もっともっと議論され、可能性を探られなければなりません。

 ③小学校の調理室や市民センターの調理実習室を食事サービスに活用できないか  仙台市内の小学校の給食調理室の実績と市民センターの調理室の利用状況(平成六年度)を示すデータがシニアネットワークの調査で明らかにされました。特に注目されるのは市民センターの調理室が、年間平均で六十四回、千四百十九人の利用しかないことです。

 話し合いでは「市民センターを使えれば拠点の問題は一気に解決する」の声が出て、今後、可能性を求めていくことを確認しました。


 
シニアネット仙台 IT分野活動  (2003 佐藤和文
  
●1995年(平成7年)8月
 シニアのための市民ネットワーク仙台発足
 
●1996平成)915
 ホームページ開設
松浦さん、佐藤相談
●1997年(平成9年)
 シニア世代と女性のためのパソコン教室スタート
 
●1999年(平成11年)4月21日 
 「シニア世代(50歳以上)のPC・インターネット活用を支援する研究会」スタート
 活動グループのひとつであるパソコン教室の活動の一環として、新たに旗揚げしました。米国シニアネットとの交流活動の一環として活動を始めたもので、シニア世代のパソコン活用について意見を交換しながら、幅広い世代が緩やかに参加できるボランティアシステムの開発・構築を目指します。
 「PC・インターネット研」は平成11年4月21日、仙台市若林区のサロンわい・わい石名坂で初会合を開きました。会員数は25人。初会合では、シニア世代がパソコンやインターネットを活用するためにどのような社会的なサポートが必要かについて意見を交換。研究会の進め方についても話し合いました。
●1999年(平成11年)10月
 リポート「私たちで役に立ちますか?-200歳トリオのパソコン支援」をWEBにアップ
 パソコン教室シニア世代研究会のメンバー3人が仙台市内で活動するNPO(民間非営利団体)に出掛け、パソコンの利用環境を整えるのを手伝いました。研究会では発足以来、パソコンやインターネットの技術を高めることと、シニア世代にとって、パソコンやインターネットの利用環境がどのようになっているかを勉強することに時間をかけてきましたが、3人のNPO支援はその実践編。3人の年齢を合わせると約200歳。今年の夏はとりわけ厳しく、初めての支援活動にも気合が入ったようです。
<その1 その2 その3 その4 その5>

●1999年(平成11年)7月 
 米国シニアネットとの協業スタート。伊藤理事米国へ
 
●1999年(平成11年)7月14日-10月8日 
 伊藤理事の研修報告「USA日記 」をWEBにアップ。52回。

●1999年(平成11年)9月
 NPO法人として認証を受けた。
 
●1999年(平成11年)10月
 シニアネット研修報告(伊藤寿朗さん)をWEBにアップ。

●2000年(平成12年)1月25、26日
 アン・リクソン氏招き「50歳からのパソコン広場」開催 SeniorNet、河北新報社と共催
 シニア世代のコンピューター活用について考えてみませんか?シニアのための市民ネットワーク仙台は、全米175カ所にシニア世代のためのコンピューター学習センターを持つNPO(民間非営利団体)「SeniorNet(シニアネット)」の代表アン・リクソン氏を招いて講演会や意見交換会を開きました。
 高齢化と情報化の問題に取り組む国内のNPOの代表らをまじえた電話会議も行いました。SeniorNetと連携しながら、シニア世代のためのコンピューター活用環境を、少しでもよくするのが目標でした。
【アン・リクソン氏を招いて講演会】

●2000年(平成12年)1月26日 
 シニアネット久留米、シニアネット福岡とテレビ会議。SeniorNetのアン・リクソンさんまじえ和やかに

●2000年(平成12年)1月21日から23日まで
 「第2回市民活動フォーラム」参加。「50歳からのパソコン広場」関連イベント。
 仙台市青葉区の仙台市市民活動サポートセンターで開かれた「第2回市民活動フォーラム」(主催・市民活動フォーラムせんだい実行委員会、仙台市)に参加。
●2000年(平成12年)3月
 仙台と九州を結ぶメーリングリスト「アクロス」スタート
 米国のNPO「SeniorNet」の代表アン・リクソンさんが来日した際に、仙台と九州を結んで行ったテレビ会議が縁となりました。

●2000年(平成12年)4月 
 佐藤理事、米国へ。SeniorNet(シニアネット)協業プランについて協議。
 WEBに「報告 あめりか・日本・NPO」をアップ。13回

  
●2000年(平成12年)8月 
 日米インターネットコミュニケーション実験スタート。
 SeniorNet(シニアネット)との協業プラン。翻訳介して日米電子メール交流実験。

●2000年9月
 PCサロンスタート。
 PC教室と「シニア世代(50歳以上)のPC・インターネット活用を支援する研究会」が合流。交流サロン、WEBチーム新設
●2000年(平成12年12月) 
 日米NPO連携WEB開設

●2000年(平成12年)12月31日から1年間 
 インターネット博覧会に参加。
 担当シニアネット仙台PCサロンWEBチーム 。
 インターネット博覧会は2000年12月31日にスタートしました。シニアネット仙台は仙台市の依頼を受け、インパクに参加しています。仙台市が出展しているパビリオンは「仙台学舎」。「シニア」「パソコン」「ボランティア」をキーワードにし、NPO、企業、学識経験者らが協力して、実行委員会「電脳仙台市民協働プロジェクト」を組織しました。
●2001年(平成13年)1月 
 フリートーク「デジタル格差をなくそう」をWEBにアップ。

●2001年(平成13年)2月 
 PCサロンに「おしゃべり会」  
 
●2001年(平成13年)3月 
 メーリングリスト「お茶の間ネット」スタート
 
●2001年(平成13年)6月
 吉田プロジェクト(仮称)
・目的:「視覚障害者」を中心に、Via Vioce、Homepage Readerなどの促進を図る。
・期間:2001年6月~2002年3月まで
●2001年(平成13年)夏- 
 日米インターネットコミュニケーション(パート2)
 2000年の経験を生かし、日米インターネットコミュニケーションは、米国シニアネットのウエッブコミュニケーション「ラウンドテーブル」のプログラムとして実施されました。翻訳者を間に置くコミュニケーションの仕組みは2000年と同様です。
●2001年(平成13年)10月 
 SeniorNetの有名人・ドロシー・ミラーさんにインタビュー「インターネットを楽しみましょう」。WEBチーム。
●2002年(平成13年)1月29日、31日
 日米シンポ「シニアとITを考える」を仙台、東京で開催 
 ・ジョー・タルタリーノさんの報告「米国シニアネット・ラーニングセンターの挑戦」


●2002年(平成14年)9月
 日米シニア井戸端会議スタート
 視覚障害支援継続

スティナ・クララ・ヒュルストロームさん(スウェーデン痴ほう症協会副理事長)

 11月16日、スウェーデンから仙台を訪れた2人の専門家が「ぼけても普通に暮らす・グループホーム的ケアを考えるセミナー」(東北福祉大学)に出席した際の発言を元に、要約・再構成してあります/文責・シニアネット仙台

●痴ほうはまず単純な物忘れから始まる。何を買いにきたか思い出せない。帰り道が分からなくなる。家族が識別できなくなり、言葉まで忘れてしまう。痴ほうになるとまず犠牲になるのは家族だ。痴ほう症のためのレベルの高い介護の仕組みを準備することが必要。

●スウェーデンではグループホームに15年の経験がある。その結果、グループホームでアクティブに生活することで、痴ほうの人が生き生きとし、人間らしく生きる期間も伸びることが分かっている。睡眠薬や精神安定剤も必要なくなり、おしめがいらなくなるケースもある。

●わたしは痴ほう症の高齢者の輝くような笑顔が見たい。生きてきて本当によかったと実感しているような笑顔を。

●痴ほう症の介護の方法はいろいろあるが、最も重要なのは介護する職員。痴ほうの人を心を読み、その人の人生を肌で感じてあげられるような職員が必要だ。わたしがもし痴ほうになったら、大きな部屋や大きな台所があるグループホームよりも、わたしの生活、人生を感じてくれる、いい職員のいるところに入りたい。私の横に一緒に寝てくれて、人生の喜びを与えてくれる人がいるところに入りたい。

●グループホームに入る前は、ホームヘルパーの助けやデイサービス、夜間の支援サービスなどを利用しながら、自宅でなるべく頑張る。自宅ではもう駄目だという時点で、グループホームに入ることになる。すべての痴ほうの人がグループホームに適しているというわけではない。グループホームでは介護できない状態の人も多い。既存のタイプの施設とうまく組み合わせることを考えなければならない。

●グループホームでは、ゆったりした時間が流れ、落ち着いた雰囲気のなかで日常のさまざまなこと、ごく普通の家庭でわたしたちがやっていることをそのままに行う。職員は買い物や食事の支度を一緒にする。疑似家族を作り上げるのだ。

●痴ほう症は次第に時間がたつにつれて、アクティビティが失われていく。しかし、日常の中で、一人一人に役割を与え、よくほめ、共同作業への参加を促すことで脳を刺激することが重要。それれによってアクティビティを持続することが可能になる。

●グループホームではダンスの得意な人にはダンスを、ギターの得意な人をにはギターを、という形で役割を。音楽が始まると、普段は一人で動けない人が立ち上がり、踊り出すことだってある。

●痴ほうが進んだら、共同作業を段階的にごく簡単なものに変えていく。十把ひとからげではなく、一人ひとりの状況に合った形の介護が必要。しかも楽しく面白くなければならない。

●日本とスウェーデンでは確かに文化の違いはあるが、痴ほうという分野では全く同じ問題を抱えている。互いに学びあえるものが必ずある。スウェーデンの経験についても、もっと理解を深めてもらうことで、日本の痴ほう問題の役に立つはずだ。

●今回、わたしは初めて日本に来て、日本でさまざまな取り組みがスタートしていることに本当に驚いた。日本の人たちがこれほど痴ほうのことについて考えていることを知って、わたしはジェラシーさえ感じる。なぜならスウェーデンの人たちはエゴイスティックだから。日本の取り組みを目にして、わたしはスウェーデン人は、自分の現在の生き方をもう一度、振り返り考えてみる必要があると思っている。

●教育はミルクと同じで新鮮でなければならない。職員がこの難しい仕事を続けていく上でも、それは必要なことだ。

●介護職員になるにはまず最低10週間の教育を受けることが義務づけられている。現場に入り、実践を積みながら看護婦を目指す道もある。わたしのところでは最低2年間の教育を受けた者しか採用しない。

●デイケアセンターではもう面倒を見られない人が、グループホームの対象になる。グループホームに入ってさまざまな生活をすることに喜びを感じられるような能力がある人。肝心なのは、介護する職員の努力によって、その喜びの期間が長くなるということです。

●高い介護水準さえ提供できれば、グループホームで死ぬ直前までいることもできるが、グループホームで生活することに生きる喜びを感じることができなくなれば、そこから後は「ナーシングホーム」の問題だ。

●ナーシングホームの職員は痴ほうについてのより高度な知識を持っている。グループホームの職員だけが痴ほうについての教育を受けるのではなくナーシングホームのより高度な知識と介護技術があってのこと。

●若い人が高齢者を支えなければならない。若い人も将来はそうなるのだということをきちんと受け止めてほしい。そのためにも痴ほう症の人たちを支援する制度が重要だ。難しいことには時間がかかる。辛抱強く頑張ってほしい。


ソルベイ・フリーデルさん(スウェーデン王立工科大学建築機能分析研究所主任研究員)

●痴ほう症の治療法は未だに確立していない。しかし環境によって状態が改善できると考えている。介護を受ける側の立場に立った施設をどのようにつくるか、それが重要な課題だ。痴ほう症の人の人権をどれだけ尊重できる環境か。グループホームは、そうした点で最もよい方法と言われている。

●一軒家で人生を送った人に一軒家タイプのグループホームを。都会型のマンションで生活した人には、マンションの最上階がすべて痴ほう症の患者のための施設になっているものも用意されている。

●グループホームではそれまでの生活とすっかり同じ環境を、しかもできるなら長い間住んだ地域にグループホームがあることが最も望ましい。室内はその人たちが住んだ環境になるべく忠実につくってあげることがいい。

●グループホームは六人から八人の痴ほうの人を単位に二十四時間体制で職員が住む。全員に個室。トイレとシャワーが必ずある。共同の台所、共同の居間、共同の洗濯場がある。職員や他の痴ほうの人たちと共同作業できる場所が必要だ。若いときから使い込んだ家具などを持ち込んで生活する。共同生活する職員にも必ず電話と机。

●トイレが常に見える状態にしてあることで痴呆症の人でもトイレを忘れないようにできる。自分でトイレができるようにする。痴ほうの人ができることは職員は決して手を出してはいけない。

●グループホームは施設だが、プライベートな時間を大切にする。自分の家にいるのと同じような空間を提供する。夫婦そろって痴ほうで、十分に体の動かない妻を夫が助けながら生活している。

●1930年代、40年代、50年代と、最もアクティブに生きた時代のことを痴ほうの人はよく覚えている。昔の話をすると、脳が刺激され、話が盛り上がる。ついさっきあったことはすぐ忘れるが。何十年も歩んできた、最も活発に生きた時代のことを人はしっかりと受け止めるのだろう。だからグループホームでは家具や室内の調度も、その時代の雰囲気をなるべく大切にする。そのことがリハビリにも有効だ。

●グループホームでの日常生活をできるだけアクティブに生きた時代の環境に近づけるだけで、睡眠薬や精神安定剤が必要なくなることも起きる。

●1989年に最初に日本に来たとき、日本の人は寝たきり老人のことばかり言っていたような気がする。今回、いろいろな施設や取り組みを見て回ったが、寝たきり老人のことは聞かれなくなった。四年間に日本では大変革が起きつつあるように思う。

●介護は「時代の変化」「社会の変化」に対応して当然変わらなければならない。わたしにとって1940年代の環境は嫌。やはりわたしが痴ほうになったら現代の環境が必要だ。例えば日本の今の高齢者にとっても畳はとても深い特別な意味があると思うが、現代の若い人たちが高齢者になったとき、畳はそれほど深い意味を持たないかもしれない。環境は変わる。



 特定非営利活動法人「シニアのための市民ネットワーク仙台」(略称・シニアネット仙台)の第5回通常総会が平成15年5月24日、仙台市青葉区一番町にあるサロンわいわい一番町(シニアセンター)で開かれました。

 総会には240人(委任状178人)が参加し、平成14年度事業報告、収支決算報告、平成15年度事業計画案、収支予算案、理事・幹事の選任に関する議案など6つの議案を原案通り承認しました。理事の選任では4人が再任、4人が新たに選ばれました。理事長には理事の互選により大内秀明さんが再任されました。

 15年度の事業計画では、重点活動として、新たなふれあいデイホーム事業への取り組み、サロンわいわい一番町の運営強化を盛り込みました。ボランティア活動の促進、会員メリットの開発、シニアITプロジェクト、いきいきサークルプロジェクトを継続して取り組むべき活動として上げ、各活動グループの活動も具体的に盛り込まれました。

 14年度の一般報告では、運営資金の調達状況が報告され、多くのリーダー、メンバーらのボランティアエネルギーが資金獲得に結びついていることが説明されました。

◎活動グループ(かっこ内は代表者)
 病院ボランティア(高橋良雄)、観光ボランティア「ぐるーぷ・よっこより」(遠藤勝目)、パソコンサロン(山崎陽子)、豊齢社会研究会(島津泰正)、ハッピー農園(鎌田稔)、結婚相談班(松本弘)、わいわい句会(中村孝史)、杜の都の麻雀会議(小松一雄)、あしかび短歌会(伊豆田勝一)、シニアランチクラブ(廣吉知子)

 <新役員(敬称略)>
 【理事】大内秀明(理事長)、佐藤和文(副理事長)、緑川斐雄(事務局長)、阿部加津子、小松一雄、高橋教保、松葉徳壽、江尻行男
 【監事】馬場亨、三浦二郎

↑このページのトップヘ